節分の前になると、スーパーやコンビニで「節分には恵方巻き」ということで、いろんなタイプの太巻きを販売していますね。海鮮巻なんてけっこう具材が豊富で、あれ一本を無言で食べきるのは、やり切れる人がどのくらいいるのだろうなんて、ちょっと気になったりしています。
でも、節分といえば豆まきというのが常識だと思ってましたから、恵方巻きを食べるというのは、ちょっと不思議な感じです。子どものころはしたことありませんでした。
そんな風習は知らなかったという人、案外多いのではないでしょうか。いつのまに節分に太巻きを食べることになったのでしょう?
恵方巻きの起源はよくわからない
節分に恵方巻きを食べることの起源は、実はよくわかりません。
「節分」はもともと季節の分かれ目を意味していて、立春、立夏、立秋、立冬の日の前日を指す言葉でした。特に立春は旧暦のお正月で他の3つよりも重きをおかれていたため、今は節分というと立春の前日、2月3日を指すことが多くなっていますね。
節分といえば、昭和の時代は豆まきでした。
「鬼は~外、福は~内」といいながら、豆を投げて、年の数だけいただくというのがうちでは定番でした。子どもが小さいうちは、鬼のお面なんてつくってきて、お父さんに鬼役をやってもらったご家庭も多いことでしょう。
恵方巻きを節分に見るようになったのは、たぶんここ10年ぐらいのことという印象です。昔からやっていたこと、というわけではないような感じですね。
記録をさかのぼると、大正初期の大阪の花街で、節分にお新香を巻いた海苔巻きを恵方に向いて食べて縁起をかついだ、という話が伝わっています。何か証が残っているのは、これが最初のものです。明治以前にどうだったかは、何も記録がないのでわかりません。
その後、大阪では昭和7年に大阪鮓(すし)商組合が「恵方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすればその年は幸運に恵まれる」と書いたチラシが残っています。今でいうコマーシャルですね。
戦後、関西以西では節分に巻き寿司を食べる風習が続いていたようで、かなり時代は下って1970年代には海苔業界が販促を目的として「節分の丸かぶり」を取り入れ「巻寿司早食い競争」を街頭イベントでやっていたそうです。
そして1980年代になってからはファミリーマート、セブンイレブンで「恵方巻き」として巻き寿司を売りはじめていました。
このように、近世の恵方巻きの広まりはある程度追えるのですが、明治時代以前はそうした風習があったのかどうかもわかっていません。
最初のエピソードが花街の縁起担ぎということから、恵方巻きの由来は下ネタだと嫌悪する人もいますけれど、これには誤解があります。
芸妓さんのいるまちを花街と呼ぶのですが、芸妓さんは舞踏や音曲・鳴物で宴席に興をそえてお客をもてなす女性で、お座敷に呼ばれて芸事を披露する仕事をしていたのです。今の性風俗店の女性がするような仕事をしていたわけではありません。
巻き物を食べるという習俗は、お座敷遊びの中から出てきたものではあるのでしょうけれど、だからいかがわしい、いやらしいというのはちょっと違うような気がします。
恵方巻きの意味は?
恵方巻きを食べるのは縁起かつぎです。当然、恵方巻きのつくりには、縁起を担ぐような意味があります。
ところで「恵方」というのは、その年の福徳を司る年神様のいる方角をいいます。2018年は「南南東やや南」になります。
巻き物を食べる意味は、福を巻き込んでくれるからだといわれています。また、節分の豆撒きにかけて「巻き」という駄洒落になっているのだ、という説もあります。
包丁を入れないで食べるのは、良いご縁や福が切れるのを防ぐためです。
具材が7種なのは七福神にあやかってのことで、黙って食べ切らないといけないのは、おしゃべりそすると福が逃げると考えられていたからです。
長~いものを食べるのは、良縁や福が長~く続きますようにという願いですね。
恵方巻きとして売られている太巻きは、かなりボリューミーでしかも長いので、無駄にデカいと思っていたのですが、7種もの具材を入れ込もうとすれば太くもなりますし、長さが福の長さと関わることを思うと、あまり短くつくってしまうと食べる意味が無くなってしまいます。
恵方巻きっていつから始まった?
恵方巻きを食べたという記録が残っているのは大正時代以降ですから、大正時代にはすでに恵方巻きを食べる風習はあったわけです。
でも、呼び名はさまざまで、場所によっては恵方寿司、丸かぶり寿司、幸福巻、招福巻、開運巻き寿司と呼ばれています。お座敷遊びが発祥なら、知る人ぞ知る習俗というままで、ひっそりと息づいていたのかもしれません。
しかし、昭和7年には鮓業界が広告宣伝活動をはじめています。記録にあるかぎりでは、この当たりが転機となって、「節分に巻き寿司」が一般家庭にも少しずつ認知されるようになったのかもしれません。
その後は海苔業界やコンビニでも、商業的な意味合いをもって積極的に「節分に巻き寿司」という習俗を広めようとしてきています。「恵方巻き」といって全国的に意味が通じるようになったのは、平成時代に入ってからのセブンイレブンのプロモーションのおかげのようですね。
小説のプロモーションをするために、菊池寛の発案で芥川賞・直木賞が創設されました。
土用の丑の日に鰻(うなぎ)を食べて精をつけよう、というのは江戸時代の大学者である平賀源内が、馴染みの鰻屋さんに「鰻が売れるように知恵をかしてくれ」と頼まれて発案したといわれています。鰻の旬は冬だということを知っている人は、おそらく少ないのではないでしょうか。
クリスマスにはプレゼントを贈ろうというのも、バレンタインデーにチョコを渡して愛の告白をするというのも、全部「業界」のプロモーターが仕組んではじまったといわれています。
恵方巻きには、まだ芥川賞・直木賞や、鰻やクリスマスプレゼントやチョコレートほどの爆発力はないようにみえますけれど、いずれそんなパワーをもつようになるのかもしれません。
まとめ
いかがでしょうか?
明治以前には何も記録がないことや、昭和以降は商売ベースの意図があからさまであることから考えると、お歳暮を送る習慣や七草粥をいただくようないわれや歴史の背景は、恵方巻きにはないように見えますね。
それでも、恵方巻きはそれだけでお腹いっぱいになるし、栄養バランスも悪くないことから、家族の晩ごはんを毎日用意する世の中のお母さんたちには、支持する人が増えているようです。
恵方巻きのおかげで、今日はちょっと楽できるわぁ~
安全で美味しくって手間がかからなければ、それを食べるのにちゃんとした由来があるかないかは、二の次になってもかまわないですよね!
ちょっとしたきっかけで、ふだん食べないものを食してみるのも悪くないと思えるあなたは、きっと悪い人ではないと思いますw
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